「だらし内閣」「みっとも内閣」の話がやっぱり面白いのでついつい書いてしまう。
《「だらし内閣」「みっとも内閣」酷評される石破内閣の写真。見た目に対する“意識の低さ”があらわしている問題》
https://news.yahoo.co.jp/articles/dc7e505f88c8096d7b9da275c418343c74a1f92d
ここでいいことを言っている。石田ゆり子さんの発言の引用である。
《「服を着る」「装う」ということってとても社会的なことだと思うのです。自分が今どんな気分か、どんな風に生きているかを一瞬で周りに伝えられる。(中略)当たり前のことだけど、つまり、ファッションってほとんど、それを見る人のためのものだな、と思っているのです。》
石田さんが言うと説得力がありますね。
と、ここまで書いてきて、このところ4日ほど政治ネタばかりだということに気がついた。面白いので書き始めるんだけど、なんだか書いていて筆が進まない。「なんでかな~?」と考えてみたんですがね、どうやら政治ネタに飽きていたんですね。
だったらちょいと話題を変えてしまおう。
今月、年一開催の読書会があるんだが、その課題図書が、古今亭志ん生『びんぼう自慢』(ちくま文庫)だった。その中に志ん生が自分の師匠(六代目馬生)を評するところがあって、「師匠は人間がオツ」だと言っている。
この「オツ」というのを久々に聞いた・・・というか目にした。
ワシャはね、江戸前が好きで、「三河生まれの江戸っ子」と名乗っているくらいなんでゲス。ほらぁ、「~ゲス」という幇間言葉が出てしまうでしょ(笑)。だから、江戸の落語が好きで、歌舞伎の荒事が好きで、江戸蕎麦が好きで、江戸艶本が好きで・・・てな具合でゲス。
その「オツ」なんですが、意味を見ますってぇと「しゃれて気がきいていること、味なこと、奇なこと、異なこと、風変わりなこと、普通と違って一種のしゃれた情趣がある」とある。ワシャはこの「オツ」ってえのに憧れましてね、ガキの頃から「オツに生きたいものだ」と思っておりやした。
でね、志ん生の『びんぼう自慢』を読んでいますってえと、全体的に「オツ」なんでございます。それで解ったのが「オツ」に生きるには「金に執着してはいけない」ということでございます。
ワシャはとくに「金に執着」なんぞしておりませんが、金のほうから寄ってこないんで執着もできず、おかげで「オツ」に生きていると自負している次第です。
いけねえ、ここでまた薬痴寺先輩の顔が浮かんでしまった。
国会でひな壇に座っている顎(あご)の弛(たる)んだお歴々。演壇を挟んで首相、官房長官、防衛大臣、総務大臣とと並んでいるから、みっともねえったらありゃしない。オツじゃないねぇ。
古今亭志ん生、昭和39年に74歳で紫綬褒章をいただいた時の写真が残っているが、顎なんかちっとも弛んじゃいない。紋付き袴姿がオツだねぇ。腹も出てねえし。
いけねぇ、またオツとは縁遠い政治家の話になっちまった。くわばらくわばら。